海の散歩道 東北編 /9

私は自分がバカだということよく分かっているつもりだったが、やはりバカだった。前日最後に回った東日本大震災・原子力災害伝承館の違和感に気づけなかった。今、播磨に帰ってきて、福島の震災後10年の資料を眺める中で、気が付きました。むき出しの地面の上に真新しい建物、その時は林の陰で見えなかったけれど、そのむこう側に東京電力福島第一原子力発電所があったんだ。あの広大なむき出しの地面は除染により表土を剝がしとられた地面だったことに気づかなかった。遠巻きにでも見ておきたいと思っていた原発はそこにあったんだ。近くにまで行く道路をいくら探しても、当然許可証が必要で、近寄れなかったところはそこにあったのだった。

9日目、道の駅ならはから富岡アーカイブミュージアムへ行く。そこに陳列されているものにも、色々なドラマがあったようだ。最後まで、住民を誘導して津波に飲み込まれたパトカー、富岡駅の改札、被災物が物語るものは私にとり、日常と突然訪れる非日常?その場面を再現してくれる。私なら「嘘だろう。」という一言で終わったかもしれない。突然生まれて、突然消し去られる。そういう意味では、誰もが同じか?そんな思いが頭の中でぐるぐる回る。そんな思いをした人がたくさん、たくさんおられたことに思いを馳せる。その後、福島の海を見に行った。ふと、「今の時代は何をしているのか?」と考えてしまう。元に戻るには10万年の時間を要する放射線廃棄物。そんな重荷を次の世代、次の世代に負わし続けることになってしまったんだと改めて思う。さらに、ここにきて思うこと、たくさんの人が除染、廃炉作業に取り組んでおられるということ。また、道路規制などにもたくさんの方が立っておられた。沢山のダンプカーは走りまわっているし、森の中に大きなホテルが建っている。震災後という新たな日常がここでは脈々と続いているようだった。来てみないとわからないことだと思う。時間がたてば、色々なことが私の中で、埋もれていったような気がする。いや、まだまだ続いているんだ。これからも続くんだということを再認識する。来てよかった。分からないことはどんどん増えていくけれど、福島、東北どう変わっていくのかを近くに感じていたいと思った。また、震災後、原子力を学ぶ学生が減ったと聞きます。色んな分からないこと?は残っていくのだけれど、もう一度原子力の今後について考えて方向性を出していかないといけないと思う。何十年、何百年先の技術の進歩に賭けて、このままでいくのだろうか。廃炉研究という学問を立て、若い人たちの心意気に頼りたいと思った。(勝手なことを言っている)

福島の浜通りを南へ北へ、海の写真、色んな所で道路の封鎖場面に出会い、海岸沿いに火力発電所、福島第二原子力発電所を眺めたりした後、福島を横断して新潟へ向かう。田村、郡山、会津若松、、西会津、阿賀野、五泉、新潟、燕、道の駅国上で泊まる。

 

福島第二原子力発電所
福島火力発電所
福島原発帰還困難区域
止まった時刻
磐梯中から磐梯山