海の散歩道 東北編/7

この日の初めは、昨日行けなかった陸前高田の気仙中学校遺構に戻った。学校の遺構は時が停まって、そこに未だ当時の子どもたちが佇んでいるようだ。この中学校では部活動中?とのことだった。東側には海へつながる水門があるが西側は小高い丘への斜面になっており、生徒たちは直ちに高台に避難して全員無事とのことでした。鉄筋3階建ての校舎は屋上まで津波で水没したようです。海が近いゆえに、避難についての意識が徹底されていたのだと思う。海を横に、常に恐怖感を抱えていたのかもしれない。避難できたところと、できなかったところちょっとした違いだったんだろうと思う。気仙沼のリアスアーク美術館で震災の被災物の展示を見る。表現主義的な表現のようで写真や被災物が訴えかけてくる。そこにあったコメント「これらは瓦礫ではない。被災した人が被災者であるように被災したものはそこに色々な思いがある被災物である。」何か迫るものがあった。美術館で被災物を展示するということは、内在する思いを大切に見る側に届けているのだと思う。物自体が被災前の日常を抱え、表現の力として訴えかけてくる。アートの幅広さ、美しさの奥深さを感じさせられた。美術館の方々のやさしさも感じた。駐車場までの屋根のない距離が長い中、突然の雷雨だった。施設の方が「傘を使ってください。」と声をかけてくださった。駐車場には返却用の傘立てがあった。また、ここには戻ってきたいなと強く思った。その後も時々雷雨になったり、雹がふったり目まぐるしい天候だった。震災後しばらくの間支援を続けた南三陸「みなさん館」に寄ってみた。ここの商品を仕入れ、姫路の国際交流フェスティバルで販売したことが2度ばかり、あったのだ。ここでは、日持ちするものをお土産に購入する。南三陸の震災遺構を訪問する前に、南三陸さんさんタウンにて昼食をとる。秋三昧の海鮮どんぶりをいただく。美味しかった。あらの味噌汁が絶妙。さんさんタウンは大勢の方が昼食を摂りに来られていた。海鮮丼の店もしばらく待たなければ入れなかった。行列のできる店だった。

冬の日本海側のようなどんよりした厚い雲が垂れ込める中、大川小学校に向かう。大川小学校の悲劇は知っていたので、何とはなしに、悲しみが感じられた。学校の横に裏山があるので、余計にせつない。ここでは、二つの詩碑を紹介します。「ここには町がありました 生活がありました いのちがありました こどもたちが走りまわっていました」「自然がつくりだしたこの世界で 未来をそうぞうし 生きることができるのが人間です そして 判断し行動できるのも人間です ときに大事なことを見失い 気づけなくなることの おそろしさを知ってほしいのです いのちの尊さを 誰もが理解しています 平和な日常を 誰もが願っています 話しあうこと 考えること ともに確かめあうことで きっと あるべき未来は続いていくはずです」

この詩碑が指し示す方向に、今私たちは向かっているのでしょうか?あるべき未来は続いて行っているのでしょうか?ニュースを見ているとそうではないですよね。礫の中から担ぎ出される子供の姿が毎日のように映し出されます。子どもたちは未来のはずです。未来を粗末にしているなと思います。子どもの頃、夏休みは遊び回る季節だった。ラジオ体操の後、お昼ご飯まで川に入り、森に入って、友達と野球をして遊んでいた。そんな過去は、今、旅行先や避暑地で味わうものになったようです。今年の夏も、暑さ故でしょう。子どもたちが走りまわっているような姿を見ません。子どもの声が聞こえる夏はどこへ行ってしまったのでしょうか。自然の中の色んな世界を体験しない子どもが大人になっていく。今年の夏は子どもたちの体験格差が盛んにニュースになっています。旅行記の方に戻ります。

その後、石ノ森章太郎漫画館を見学し、石巻の震災遺構公園を巡る。門脇小学校、南浜公園、MEET門脇へ、どこも時間切れで閉館だった。美しく広い公園を散策する。辺りは暗くなり、ホテルへ向かう。新しいホテルのようで、ナビで、住所検索して、向かうしかない。そんな時迷うのがどこが入り口か?暗闇の中で探すのは結構難しのです。それにまた、ホテル内でも、シャンプーとボディソープ、もっと字を大きくしてください。使ってから判断しています。(ぼやいてばかりいます。)

 

陸前高田市立気仙中学校遺構
気仙沼リアスアーク美術館
南三陸防災センター
石巻市立大川小学校1
石巻市立大川小学校1

 

 

 

 

 

 

 

 

大川小学校2
石巻市立大川小学校2