4日目、芦北道の駅から、朝ドラを観てからスタートする。水俣までの距離はそんなになかったと思う。午前中は、水俣病資料館にて過ごす。石牟礼さんの「苦海浄土」、緒方さんの「チッソは私であった」を数年前に読んでから、今の水俣湾を見てみたいと思っていたのであります。資料館の中に立って、「これらの本を読んできておいてよかった。」とつくづく思いました。そこにある苦しみは人間をはじめ生きとし生けるものの苦しみであったように思います。「猫が二本足で踊りながら、回りながら死んでいく。」その姿が現実にありました。また、その中で映し出される街の景色は、私が子どものころ見ていた景色でした。土道があり、家の周りにどぶがあり、どぶ板を踏んで音を鳴らしながら走り回っていました。水俣で起こった事件は当時どこで起こっても不思議ではなかったのだと思います。あそこに出てくる杢くんは私だったのかもしれません。そんな風な気持ちで資料館の映像を観たのでした。 近代のものづくりの中で生まれる考え方は、今ここに生きる人の豊かさや快適さを最優先に考えられました。悪い事ではないのだろうけれど、その要求は限がありません。その改善、改善が技術革新を生んだことも間違いありません。が、不都合な部分や課題は先に送られる。これまた、当たり前のことのように思えるのです。解決できないことを先に送って、快適さや豊かさは享受する。あまりに都合が良いのではないだろうか。そう思ってしまうのです。「そういうお前は、快適さや豊かさを放棄しろ。」そんな声が聞こえてきそうです。100年後の将来の子どもたちに、負の遺産だけを押し付けてはと思うのですが、みなさんはいかがお考えですか?
旅行記に戻ります。道の駅の中でレストランに気が付かず、広い公園の中での食事もいいかとヨモギ餅とワカメご飯を買った。なぜ、おかずを買わなかったか?覚えていない。こんな生活を続けています。午後からは、公園内を歩き回る。「百間口排水溝にいこう。」ここは始まりの地点ですから。排水溝は竹林の端に示してあったような気がしましたが、公園のマップやパンフレットには見当たらなかったように思います。(気のせいだったのでしょうか?)資料館の中では位置が示してあったと思います。竹林の端、公園の北の端に祠を発見する。発祥の地という説明書きがありました。ここが百間口排水溝の跡地です。その後、「苦海浄土」に出てくる近くの街を回ろうとしましたが、車では入れないような細い路地でした。車を海岸に置いて、しばらく歩く。昭和の趣が色濃く残った街並みでした。ただ、生活の気配があまり感じられなかったのは、皆さん移転されているのでしょうか。海岸沿いの国道まで車ででて、コインランドリーで溜まった洗濯物をする。子どもたちの下校時間と合い、とても賑やかな時間を過ごしました。また、水俣湾の公園に戻り、八代海に沈もうとする夕日の写真を沢山撮る。日が暮れてからホテルへ、フロントで「水俣のB級グルメは何ですか?」と尋ねると「ちゃんぽん」とのこと。前々日、日田でちゃんぽんをいただいたので、駅前の和食店へ、てんぷらをいただく。翌朝早い時間のワールドカップラグビー日本戦を見るため、すぐに就寝した。10時前。
(水俣病資料館屋上より見る水俣湾と恋路島)(水俣湾の埋め立て地の看板、下には水銀を含むヘドロが閉じ込められている)
(夕日をバックに帰航する船)(写真左端に祠が、百閒口排水溝跡)


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