海の散歩道 九州編/4

朝、日の出前。日田の街歩きに出掛ける。早朝のまだ薄暗い感じだった。日田の祇園山鉾をしまう倉庫、昔からある老舗の酒蔵(日田の水は日田天領水で有名)、咸宜園があった。雰囲気のある町並みを歩く。最近建てられたであろう小学校(咸宜小学校だった)もレトロな感じの作りになっていた。早朝、旅先での散歩は知らない方とも当たり前のようにあいさつを交わす。ちょっとした、街のことを尋ねても話がはずんだりして楽しい。知らない街の朝の散歩、ホテルで泊まるときには続けたいなあと思う。

午前、お寺に向かう前に山国町の私の本籍地を訪ねる。新しいバイパスが中津市街から日田市まで出来ており、私のナビでは現在地が認識できない、山の中を走行している。携帯のマップを参考にするが、昔の住所では検索にかかってこず、高校時代父親に案内されていった記憶を手掛かりにしばらく車で走る。結局、分からないので地域の神社にお参りをして、その場を離れた。山国から玖珠へ向かう。ナビはお寺までの最短距離を導てくれたのか?それとも、本当にのへき地なのか車がすれ違うことが難しいような山道であった。つぶやいた。「ぽつんと一軒家やかいな。」何年か前来た時は台風の後で杉や檜の倒木がたくさんあり、それを片付けているというような状況であったのを思いだした。ここは、台風もよく通り、山国川が氾濫することは、覚えているだけでも何度かある。川沿い温泉が浸かってしまったこともあった。父親から聞いた話を思い出した。父親は本籍は山国町だが、生まれ育ちは別府市である。父親の父親、祖父が長崎の学生であったころ、大雨により家業である林業で家は大損をしてしまい、祖父は学生を辞め、別府で働き始めたとのことであった。いつの時代も災害によって人生は変えられてしまうものなんだと思う。ただ、その祖父は警官になり播磨に赴任して祖母と結婚、祖母は前の庄から嫁ぎ、前の庄は父の母方の実家となった。だから、父は戦後母方の実家を頼って九州から播磨へでてきたのであった。災害が、つないだ縁もあるのである。不思議だなと思う。

納骨を済ませた後、お坊さん、坊守さんとお話をする。若いのに落ち着いておられる。尋ねると小学校は最近廃校になったとのことで、お子さんたちはスクールバスで登下校しているとのことでした。「やはり、へき地だったんだ。」そこをお二人で守られているとのこと。広い敷地、きれいに草刈りしてあり、磨かれた床、美しい。このお寺の山門は文化財で、暴れん坊将軍にも使われたと父から聞いた。

午後、芦北町の道の駅へ向かう。食事を阿蘇から熊本へ向かう峠のソバ屋で10割そばをいただく。出来上がるまでに時間がかかった。早くしてくれよと思ったが、それが届いた時には香りといい、味わいといい、嬉しさがマシマシになっていた。空腹は最大の演出だったのだと思った。美味しかった。道の駅で夕食をと思い向かうが、道の駅はランチだけとのこと、パンを買って済ませる。残念。途中道の駅はたくさんあったので、郷土料理の弁当を買い込んで、宿泊地の道の駅で食べるのもありだ。芦北道の駅泊。

日田の散歩道             咸宜園                       山国~玖珠への山道