葛の散歩道 /11

 

昨日『世の中にたえて桜のなかりせば」という映画を観た。グッドタイミングだと思った。

この映画の題は 「 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 」 (在原業平朝臣、古今和歌集)からきているらしい。意味は、「もしも世の中に全く桜がなかったなら、春を過ごす人の心はどれだけのどかでしょうね。本来の春はのどかな季節なのに、人は桜が咲くのを待ち、散るのが気になり落ち着かない。」ということです。昔も今もこの思いはかわらないのでしょうか。たんたんと続く時間の中で、昔から続く桜の季節というこの季節の時間の軸と不登校や終活という一人の人、人生の時間の軸で織りなしていく人たちが描かれたヒューマンドラマでした。一つ目は、映画に出てくるキラーワードに「桜は下を向いて咲くのは、私たちが上を向くため」とのこと、カッコイイ、すっごいと思いつつも、ホンマかいな、と突っ込んでしまいました。検証検証。朝の散歩で確認しました。沢山咲いているところでは、左の写真のように、確かに花弁の中が見えているように見えます。が、写真右のように、枝先のような花弁は上を向いているものも多いようです。おいおい、と思うのですが、

科学的な説明では「実は、桜は1つのつぼみに3~4の花をつけ、それぞれが触れ合わないように咲くため長い柄が付いています。だから桜は下を向いて垂れ下がっているのです。」ということです。つまり、枝先の上を向いている花弁もぶつからないように柄が延びてくるとその花弁の重さにたえられず、下を向いていくのでしょうね。納得。

もう一つ思うことは、桜は今の時代も心をかき乱す存在なのだろうかということです。映画の中で、「あと何回桜が見られるだろうか?」とありますが、わたしにはそんなことはあまり思わないです。「今年も見られた。良かった。」という思いが近いかもしれません。ただ、昨秋観た「庄川桜」満開を観たら、心かき乱される桜になるかもしれません。吉野の桜も観たいものです。